ニュークックサーブシステムの誕生小史

若かりし日の奥田静男

ニュークックサーブシステムの始まりは、保健所の食品衛生監視員だった私が、自治体病院のニュークックチルシステムによる給食改革を任されたときです。私は、高校卒業後は栄養士の道に進み、地元の総合病院の栄養士を経て、県職員の栄養士となりましたが、栄養行政に飽き足らず、食品衛生行政に職務転換しました。ところが、50歳半ばにして自治体病院に転勤を命ぜられ、3年後に開院する新病院対応のニュークックチルシステムによる給食改革を任されたのです。しかし、その当時はまだ大規模病院での導入事例はまったくなかったことから、ゼロというよりもマイナスからのスタートといっても過言ではありませんでした。

それでも、与えられた環境の下で、「安全性の向上」、「生産性の向上」、「患者サービスの向上」という難題を具現化するために悪戦苦闘の毎日でした。そして、ニュークックチルシステムの心臓とも言える個別再加熱の手段に選んだのが、まだ汎用化されていない電磁誘導加熱方式に他なりませんでした。それでも、その選択が功を奏し、当時日本一の病床数を有する自治体病院の給食改革を成し遂げることができたのです。この任を終えたのち、再び食品衛生行政に戻りましたが、給食改革の魅力に取り付かれたことから、弊社を創業する道を選びました。しかし、時悪くすぐに病院給食制度が改正されたことで、ニュークックチルシステムではコストパフォーマンスが得られなくなっていました。そこで、ニュークックチルシステムに替わる新しい給食運営プロセスの開発に着手することにしたのです。そして、この窮地を救ってくれたのが、電磁誘導加熱方式の再加熱用フードカートでした。

電磁誘導加熱方式の再加熱フードカートを、コンベクションオーブンに替わる加熱調理装置に置き換えることができれば、クックサーブで食器単位の加熱調理が自動的に行えるのではと考えたのです。この方法であれば、100℃以上での加熱調理は難しいかも知れないが、100℃以下の加熱調理なら大丈夫です。特に、日本人の主食であるごはんを炊くことができれば、生産性が著しく高くなると確信したのです。そして、その当時は無謀とも言われたごはんを炊く技術を約3年かけて確立することに成功したのです。このようにして、私のような栄養士の道を外れた門外漢の手で誕生したニュークックサーブシステムですが、これからは給食の専門家の手でお育ていただくことで、わが国の給食制度をこれまで以上に進化させてくれると信じています。